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Grayson Perry/UK
「私の作品は、毒入りの宝物のようなもの。宝物だけど、呪われている。
深い無意識の底から運ばれてきたそれらを「発掘」することは、考古学であり、心理学なのだ」

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≪何がいやなのか?≫What’s not to like? 2006 陶器

恥ずかしながらグレイソン・ペリーという名前だけしか知りませんでした。
作品をちゃんと見たのは先日行った「英国現代美術とターナー賞」。
ダミアンハーストが目当てで行ったのに、度肝抜かれたのは彼の作品でした。
うーん・・・正確には彼女の作品なのでしょうか。


一瞬メルヘンチックな作品かと思って見ていると、火傷します。


自分の生い立ちを引きずって、
それを作品によって露わにするアーティストはたくさんいて、
グレイソン・ペリーもその類のアーティストですが、彼はちょっとばかり違うようです。

彼の作品のテーマは自分の思い出から始まり、社会問題や同性愛・幼児虐待についてや、戦争、名前でモノを見る社会(ファッション界やアート界)への茶化しなどの社会的メッセージ。
それにその日の気分と彼のフィルターを通すと、古典的なイギリスの「壷」という形になって表現されます。

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≪敏感な子供の苦境≫ Plight of the Sensitive Child 2003 陶器 金沢21世紀美術館蔵

彼がこんな事になってしまった出来事・・・。
両親の離婚、叔父からの暴力、それを通して生まれたもう一人の自分「クレア」という女性。
内面は女性、外面は男性という自分や、そうゆう人間に対しての社会の目を客観的に見て、作品を通して言葉を発しているのです。

それは見たくない事や、普通なら隠したがる意味合いの事もダイレクトに表現されて、潔くて、逆にちょっと気持ちがいいくらい。

なんていうんでしょう。
オカマちゃん(って言っていいのか?)酒飲んでガハガハ大笑いしながら
自分の過去や、批判的な社会について大声で喋ってるかんじ。

まぁ、内容は笑えないものもあるけど、何も濁さずストレートな姿勢はアッパレ。
しかもこんな立派な壷にこんな内容を描いて、焼いてを繰り返す作業は、女性独特の執念と、男性の体力があればできる事なんでしょうか・・・。

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2006年の作品 「子供を失って気が違ってしまったヴィクトリア時代の農夫の妻をイメージして選び、作った」と言う空間作品。真ん中の馬車は霊柩車。



2007年4月28日から21世紀美術館で開催された展示会のタイトル「我が文明」のように、グレイソン・ペリーという人は、独特の毒を持った趣味の悪いメルヘン文化を築いた「ひとつの文明」ようです。
冒頭の言葉のように彼の製作活動は、彼の文明の象徴である「壷」を発掘するような作業なんでしょうね。

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アーティストと言っても、正確には陶芸家としてかなり有名らしく、技術はかなりのものらしいです。

彼は2003年にターナー賞を受賞して、一躍有名人となりました。
メディアは作品の評価という事だけでなく、女装癖のグレイソンとして批評をくりかえしました。
女装癖、社会批判など、どう見ても出る杭の彼を面白がり、上っ面だけで寄ってくるそんな人たちを、彼は楽しんであざけ笑っているんでしょう。



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Grayson Perry(グレイソン・ペリー)

1960年、チェルムズフォード(英国)生まれ。
1982年、ポーツマス・ポリテクニック美術学科卒業。現在、ロンドン在住。
1980年代半ば 主に陶芸作品を手がけるようになる。また、版画や写真、ドレスのデザイン等、ジャンルを超えた制作活動に取り組んでいる。
1990年代以降 個展での発表、およびグループ展への参加が相次ぐ。
2003年 イギリス現代美術の最高賞であるターナー賞を受賞。ペリーの国際的評価は更に高まった。

2005年 金沢美術工芸大学と当館とが連携して運営した国際的芸術家滞在制作事業において、2度に渡って金沢に滞在し、地域の素材を用いた新作の制作を行った。
主な所蔵先は、アムステルダム市立美術館、サーチ・ギャラリー(英国)、テート(英国)、グラスゴー近代美術館、金沢21世紀美術館など。

ターナー賞公式サイト テート・ギャラリー
イギリスのギャラリーVictoria Miro
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| - | 20:04 | - | - |
佐内 正史/Japan
2008年4月27日
名古屋市電気文化会館にて、佐内正史のトークショーがありました。
まっしゅさんと一緒に見に行ってきました。

初めて佐内さんを知ったのは2001年。
「俺の車」出版に合わせた、中京大学での展示会の告知でした。
そのときに載ってたのが、ウシの置物の写真と、黄色い車のサイドミラーの写真。一瞬目が離せなくなって、こんな写真があるんだ・・・とドキドキしました。

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1997年 生きている

空気を撮ってるような、それはそれは澄んでいて、
現実的なのに、覚めかけの夢みたいな。
いわゆる今主流になってる写真の、先駆け的な存在でした。

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1997年 生きている

こんな写真が撮れたらいいな。
多くの人がそう思ってそうしたように、私も同じ事を思いました。
佐内さんのマネをして写真を撮ったこともあります。




「こ・・・、怖ぁ・・・。」
初めて佐内さんを見たときに思った感想です。

佐内さんはトークショーに遅刻。明らかに二日酔いな雰囲気。
登場した途端に司会者に話をふられ、しどろもどろ。
朝からビールを飲んでおられたと言っていました。

私が想像していた佐内さんと、まったく逆の人。
勝手なイメージは、人当たり柔らかい人なのかなと思っていたんです。
サラリーマンもやってみえたそうですし。そう思ってた人、多いと思います。

この人の本を、私はお金を出して買ったんだなぁ・・・。
もしかしたら、すごく怖い人なのかもしれん・・・。そう思いました。
でも佐内さんの酔いも冷めてきて、怖くないのかもと思えてきました。

トークショーの内容は、今年の2月に、オリジナルレーベル「対象」を立ち上げ、そこから初出版となる「浮浪」と、二作目で5月5日発売となる「DUST」について中心に進められました。

今回の「浮浪」「DUST」はかなり凝った作りの本になっていて、
表紙は分厚いセルロイドで、佐内さんが1冊ずつ題名を手彫りしてるんですよ。装丁だけじゃなく、中もすごい凝りよう。たぶん儲けないよねって作り。

今回こんな本を作った理由は、
「中学の時に作ったカセットみたいに、心に残るものを作りたかった。
手作り感が伝わるものにしたかった。」
「写真新世紀でやった事と、あまり変わらない事をやろうと思った。」
だそう。
たしかに、ここまでやるならオリジナルレーベルじゃないと出来ないですね。

ト−クショーが進むと、勝手に思っていたイメージもとれて
佐内さんの写真を素直に見れるようになった気がします。
本人を前にして感じた佐内さんの写真は、
もっと感覚的な、嗅覚で撮るような写真。ロックな男の写真でした。

なんかいいな。と理由なく単純に思える写真。

「良い」に理由や理屈はなくて、「なんか良い」で今まで写真と生きてこられたのだと。
「そのままだと、そのままになってしまうから、もっと感覚的に感じてほしい。」
「ドキッとすれば、それでいい。」と語っていました。

一番印象に残っているのは
「写真を撮りたいのであって、対象物を撮りたいわけじゃない。」
という言葉でした。

花を撮れば花の写真。車を撮れば車の写真。
でも何だってことない何でもない写真って、なかなか撮れない。

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2008年 DUST

人は何するにも理由を付けたがるし、理由を求めるもの。
だって、理由がないと怖いから。
まして写真が生業な人は、撮る理由があってほしいと思ってるし、
それを知りたいと思ってトークショーに来てる。

でも、日常生活で理由をつけて生活してないように、
食べたいから食べる、曲がりたいから曲がる。
そんなことに理由を付けないように、
そんな感じで撮ってるだなと、感じました。


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2001年 俺の車


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2つは佐内さんのマネしてわたしが撮った



トークショーに来た私たちに一言。
「こんな所にいるより、外出た方がいいんじゃない?
表に鯉のぼりも泳いでるしさ。」

なーんだ。
わたしトークショーに来てる時点でだめじゃん。
佐内さんみたいにはなれない。

行動よりも、頭で考えてるからねー。文章書いてる、今だってそう。
あたまでっかちだもんな。わたし。と思いました。
おしまい。

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撮影:キャメ


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ちゃっかりサインもらいました。

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1968年 静岡県静岡市出身。
サラリーマンをしていたが脱サラ。パチプロを目指すが脱パチ。
24歳で写真を始める。
1997年 写真集『生きている』でデビュー。
CMをはじめとした映像にもその活動を展開。
映画『ジョゼと虎と魚たち』では劇中使用写真を担当。

1995年第12回キヤノン写真新世紀優秀賞
2002年第28回木村伊兵衛写真賞

佐内正史HP
佐内正史ダイアリー
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| - | 20:54 | comments(0) | trackbacks(0) |
James Nachtwey/USA
戦争カメラマンというのをご存じでしょうか。
歴史の授業で見た人もいると思います。

こうゆう写真は苦手な人は、見ない方が良いと思われます。
でも私個人としては、たくさんに人に見てほしいと思っています。
めずらしく、すごい長くすごく真面目に書いているので、大変腹にもたれると思います。
読めそうな人は読んでください。


James Nachtwey 現在60歳。
2002年スイスで製作された特集ビデオを
カメラマンのバツさんに借りて見せてもらいました。
今回の紹介は、そのビデオのレポのようなものです。

James Nachtweyの写真集「Inferno」という本はこんな言葉から始まります。

「私は、これらの目撃者で、これらの写真は証言です。
 私が記録した出来事は、忘れられず、そして繰り返されてはなりません。」

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1993年 ボスニア かつてフットボール場だった所に、セルビア人に殺された兵士を哀悼する。

「Inferno」とはダンテの神曲の中の「地獄」からきています。


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1990年 ルーマニア 治る見込みのない子供のための孤児院

彼は元々写真を学んでいたわけではなく、
24歳から独学で写真の勉強を始めました。

戦争カメラマンになった動機は
「ベトナム戦争にてメディアが伝える情報と、撮られた写真と大きく矛盾していたから」でした。

矛盾とは何か。彼が実際に戦場で見たのは、メディアが言う「歴史が変わる時」ではなく「時代に流され、翻弄する人々」でした。

「もっと良く知り、伝えなくてはならない。」
そして彼は戦場カメラマンとなることを決意したそうです。

彼は、1980年から戦争に問わず様々な問題を撮り続けています。

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2005年 インドネシア

彼が人を被写体に写真を撮る場合、他のカメラマンと大きく違う点があります。
それは、彼はいつも「戦場カメラマン」ではなく、撮られる側に近いという事。
撮る距離もそうだけど、心の問題で、彼はいつも「他の国の事だから関係ない」ではなく、いつもその場の関係者になっているから。

「これらの写真を撮れたのは、私が彼らに受け入れられたからだと思う。
カメラを持った外国人が私たちの声を世界に届けてくれると分かってくれている。それ以外に彼らの苦しいという言葉が、外の世界に届く方法がないのだ。」

「人に接する時は、とても敬意をはらう。
危険な場所以外は、できるだけゆっくり動き、できるだけ大きな声を出さず、
できるだけ悲しみを理解している事を分かってもらう。心は通じる。」

彼の写真は、今までの戦争写真とは違い、誰よりも目が離せなく、
とても精密で、表現は変ですが美しいと思ってしまう事すらあります。
戦争写真って、衝撃映像に偏ってしまいがちですが、
彼の写真は衝撃的に、すごいバランスで撮影されているので
ものすごい説得力があるのです。



たくさんの戦争を見てきて、彼が一番理解できなかったのは、
1990年から1994年にかけてルワンダ紛争
それが、フツ族によるツチ族の大量虐殺(ジェノサイド)でした。

この戦争にて100日間で100万人が虐殺。しかも人間の手によって1対1で行われ、ナタや斧といった本当に原始的な道具で殺されるというものでした。

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1994年 ルワンダ 死の収容所を生き残った人


「元々同じ言葉を使い、差別もなく暮らしていたのに、何が恐怖と憎しみを生んだのか。まったく私には理解できなかった。」



戦争カメラマンが一番辛いと思われる事についても触れていました。
問題になって、社会の教科書にも載っていたので知っている人も多いと思います。
Kevin Carter(ケビン・カーター)という写真家によって撮影された、「ハゲタカと少女」という写真。

kevin
ハゲタカは死肉しか食べません。女児が死ぬのを待っているのです。

Kevin Carterはこの写真でピューリッツァー賞を受賞。
人々はKevinを「なぜ彼女を助けなかったのか」「人間としてのモラルに欠けている」「金のため、賞のためにこの写真を撮った」と避難しました。
ケビン・カーターはその後自殺。

James Nachtweyは静かにこう言っていました。
「写真を見る人に知っておいてほしいのは、飢えの犠牲者の写真を撮った場所は、ほとんどが難民キャンプで、食料が配られる場所だということ。

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1993年 スーダン 飢饉犠牲者

飢えで苦しむ人を撮影していて、見殺しにしているわけではないと言うこと。」


「なぜ彼女を助けなかったのか」というのは、私は「茶の間の正義」だと思います。
彼もケビン・カーターも、報道によって世界を知ることに命をかけています。
だからと言って、無機質にに写真を撮っているわけでなく、
ビデオでは、とても辛く、とても感情的で、でもそれを押し殺して撮っているように見えました。

茶の間の正義だって、悪意があって言っているわけではないと思いますが、
暖かい所で議論しても何も生みません。
何が大切か、ちゃんと理解して知っておく必要があると思います。


「死体の山を見たって悲観に思うだけで、何か行動しようと思う人は少ない。写真を見たってきっとそうだ。
だけど僕の写真で、少しの人でも感心を持ってくれるとうれしい。」

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2003年 イラク

勝手に私の話になりますが、私は戦争写真を見る機会が多かったのです。
母はアウシュビッツの展示会やらに、よく私を連れていきました。

2000年に名古屋で開催されたロバート・キャパ賞展にて沢田教一を
「地雷を踏んだらサヨウナラ」で一ノ瀬泰造を知りました。

沢田教一と一ノ瀬泰造はカンボジアで、ロバート・キャパはベトナムで亡くなりました。3人ともベトナム戦争で亡くなっています。

去年の正月にカンボジアに行ってきましたが、カンボジアに行きたかった理由はアンコールワットを見たい以外に、一ノ瀬泰造の影響が少しと、20年前まで戦地だった所に行ってみたいという気持ちもあったからです。

12.3年前にアンコールワットに行った人の話を聞いた事があって、
とても恐ろしくて、観光で行く所ではなかったそうです。
その時は地雷撤去も不十分で、アンコールワットまで自転車で行けと言われ、
(自転車の方が、地面に付く面積が小さくて、地雷を踏む確率が少ないから)
ゲートをくぐるたびに銃を当てられたそうです。
とにかく怖くて早く帰りたかった。と言っていました。

今は立派にホテルも建っていて、レストランもあって素敵な所です。
その分、カンボジアの奥に住む人たちは高床式住居のような住処でした。
物売りの子供たちに囲まれては1ドル!!とバナナを見持って来られたりして。
「可愛そうと思って日本人が子供から物を買うから、学校に行けない子が増える」
とガイドブックに書いてあって、子供からは買わないようにと心がけたけど、
実際に裸足で破れた服で、地雷で腕がない子とかが近寄ってくると、
この子がこのお金で1日食べれればいいじゃないか。と思って揺らぐのでした。
早く帰りたいとは思わなかったけど、生活・食事・学業共に、とっても不十分で、
色んな事が発展途上だと感じました。
発展すればいいという問題でもないのですが。 

こうやって戦地も変化して、色んな事が忘れられて、
新たな問題に変わっていくのかなと思ったのです。


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2003年 イラク

戦争はしてはいけません。
人は人を殺してはいけません。

痛いからです。恨んでしまうからです。
悲しくて辛くてどうしようもないからです。

そんな事、みんな分かってて、そして私はこんな風に真剣に考えてみても、
結局明日にはのんきに、ごはんがウマイとか言ってるです。

だって私たちは、食べるものにも困らないもの。
正直、すごく外の世界の事と思ってしまいます。

そして、そんな事一度も考えなくても生きていけるし
そんな事考えなくても、満腹で暮らせる国にいるということも知っています。


今でもどっかでまだ、戦争してるんですよね。
彼は「二つとして同じ戦争はない。誰でも、何度でも、学び直す必要がある。」
としめくくります。


地球は何のために丸いんだと思ってしまいます。





・・・しかし、こんなにバンバン写真載せたら、さすがに怒られるかなぁ・・・。
ちょっとヒヤヒヤです。
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James Nachtwey (ジェームス・ナクトウェイ)

1948年 ニューヨーク州生まれ。
     大学で美術史と政治学を学ぶ。
1972年 独学で写真を学ぶ。
1980年 Time誌の契約カメラマンになる。
    それ以降、世界中の紛争や出来事を撮り続けている。
    アフガニスタン・南アフリカ・ボスニア・チェチェン・エルサレム・
    コソボ・ルワンダ・北アイルランド・韓国・ベトナムなどに出向き写真を撮影。
1998年〜インドネシアなど各地で貧しい国に暮らす子供たちを
    ロングスパンで撮影。

ロバート・キャパ賞を5回、世界報道写真大賞を2回、ユージン・スミス賞を1回受賞

James Nachtwey HP
Time Magazine


沢田教一
1936年2月22日 青森市にて誕生。
1966年9月6日『安全への逃避』(FREE TO SAFETY)でピューリッツァー賞写真部門を受賞。
1970年10月28日 ジープで戦闘現場へと向っている途中狙撃されて死亡。享年34歳。
1971年ロバートキャパ賞受賞

一ノ瀬泰造
1947年11月1日 佐賀県にて誕生。
1972年1月20日日本を旅立ちバングラデッシュ・インドに向かう。
    3月14日カンボジアに入国。
1973年11月22日または23日単身アンコールワットへ潜入し、そのまま消息を絶った。享年26歳
1982年2月1日 ブラダックの草原にて両親により遺体確認。一ノ瀬泰造HP
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彼のビデオを見てから、せっかくカンボジアに行ったのだから、
ちょっとずつ募金しようと思いました。
彼の写真にちょとでも心を動かされたのなら何かするべきだと思ったのです。
グッドネーバーズ・ジャパンにて募金を始めました。

ユニクロのリサイクルは誰でもできますね。部屋も片づくし。
毎年3月1〜31日と9月1〜30日に着なくなった服を回収しているそうです。
ユニクロのリサイクル

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| - | 19:14 | comments(3) | trackbacks(0) |
小江戸ブルワリー 「COEDO」
アイ ラブ ビアー なキャメです。

好きな言葉は、「とりあえず生」です。


わたしがたまに行くバーにて、素敵なビールを発見いたしました。
ええ。ビールはアートです。問題なーし。

COEDOという地ビールなのですが、味もさることながら、
パッケージデザインやHPも素敵です。

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コエドプレミアムビール「瑠璃−Ruri-]
コエドプレミアムビール「伽羅−Kyara-]
コエドプレミアムラガー「紅赤−Beniaka-]
コエドプレミアムビール「漆黒−Shikkoku-]
コエドプレミアムビール「白−Shiro-]


ビール職人の手仕込による個性豊かなビールを提案してきた小江戸ブルワリーから、約2年間の開発期間を経て、2006年10月から5種類のプレミアムビールを新たに発売されました。
それがCOEDOというシリーズ。
ちなみにCOEDO(小江戸)は、その昔、埼玉は小江戸と表されていたことから会社名に命名。

ななな、なんと、2007年の第46回モンドセレクション(MONDE SELECTION 世界的に権威のある食品品評会)のビール部門でCOEDOシリーズ全商品が受賞。同一ブランドが全部受賞するのは日本初なんですって!!

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しかも、最高金賞が2つも!!3年連続して金賞以上を受賞すると、別途、国際優秀品質賞が授与されるらしいので、頑張ってほしいです〜。
ビール部門で他にモンドセレクションを受賞したのは、
サントリーのザ・プレミアム・モルツだそうです。うまいもんね。

勝手に私の好みを発表すると
一番好きなのは「瑠璃−Ruri-]で、次は「白−Shiro-]です。
瑠璃はビールの苦手な人でも飲めそうな爽やかかつ、フルーティーなお味です。

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「白−Shiro-]はヒューガルデンのような乳酸菌が入っている物で
これも飲みやすいけど、ヒューガルデンより若々しくなく、
ちゃんと大人なビールに仕上がっています。

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「紅赤−Beniaka-]はさつまいもが入っていて、けっこう癖のあるお味です。
アルコールも他の種類より高いので、玄人好みです。

このビールを飲んでる時に、
なぜかレポーターの宮本忠博さんが偶然一緒にいたんですよ。
ビール好きの宮本さんにも一緒に飲んでもらって、うまい!!と、うならせた一品であります。


パッケージは、品のあるホテルのラウンジに置いてありそうな
女の子が飲んでても飲み助と言われなさそうな、気品あるデザイン。
家紋のようなマークは、ビールの命であるホップの形から製作したものらしいです。

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コエドビールのパッケージデザイン・HPデザインなどを手がけている会社
株式会社エイト
コエドビールのパッケージとHPは、
「JWDA WEBデザインアワード グランプリ」「ジャパンパッケージングコンペティション 日本パッケージデザイン協会賞」「日本ガラスビンデザインアワード 審査員特別賞」「日本パッケージデザイン大賞 入選」・・・と受賞ラッシュになりました。
このパッケージなら、贈り物にしても喜ばれそうですもんね。


HPによると、買う時点で抽選になるそうなので、
うっとおしいくらいにビール好きをアピールした文章を送りつけたら見事当選!!
やほーい!!

でも今検索したらココで注文できるみたいね

高いから、そんなに毎日飲めないけど
たまには美味しいお酒で一日を終えても良いですね〜。

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小江戸ブルワリー 
埼玉県入間郡三芳町上富385−10
TEL:049-259-7735
小江戸ブルワリーHP
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| - | 14:33 | comments(0) | trackbacks(0) |
東信/Japan
3年くらい前に、ある雑誌が花屋さん特集をしていました。

綺麗な花の写真がたくさん載っているページをめくっていたら、
異様な花屋を発見。
その花屋には花が1本も置いていなく、実験室のような空間に男が3人立っているだけの写真でした。
小さな小さなその記事がとっても強烈で、今でも覚えています。
部屋1
部屋


2001年から東信(あずま まこと)さんは、東京銀座で椎木俊介さんと
JARDINS des FLEURS(ジャルダン デ フルール)という花屋さんを経営されています。
花のない花屋で有名になった彼らの目指す物は、「花のオートクチュール」。
雰囲気や、写真でイメージした花束を作ったり、要望があれば種から栽培し、育てて引き渡すという事もしてくれるそう。
マルタン・マルジェラのショーや、「さくらん」の花の演出もされています。


東さんは、花屋さん以外に個人で花の表現を模索されていて、清澄白河で
AMPG(AZUMA MAKOTO Private Galleryの略)というギャラリーにて作品を発表されています。

3月1.2日に私が東京に行くタイミングで作品を展示されているという事だったので、かなりウキウキで見に行ってきました。
しかも今回の展示は「式」シリーズの最終章となる「式3」という事もあり、勝手にかなり期待していました。

式1
「式1」は、2006年1月銀座ソニービル1階に、ワイヤーで吊られた根付きの松を鉄パイプに囲んで展示したもの。WALKMAN新シリーズ発表に際してのSONYと東さんのコラボレーションでした。

式2の2
式2
「式2」は、松を氷に閉じこめたという物。
凍っている松は永遠に生き続けるという実験。



ギャラリーはごく普通の民家の狭間にありました。
花がある暖かい雰囲気っていうのは1ミリもなく、冷たい実験室の様なギャラリーの奥に作品が展示されています。作品を作るまでのアイデアスケッチのようなものも展示されていて、東さんが展示してある花を生けるまでの映像も流されていました。

その映像は、花を相手に手術をしているみたいで、とても医療的というか、数学的というか、本当に「実験」のようでした。


「式3」は、松が水の中に閉じこめられています。って書かれても全然分からないと思いますが。
それ以外に説明できないです。写真がないので見たい人は見に行ってください。美しいです。

ギャラリーのお姉さんに色々聞いた所、松は水に浸かっているが生き続けているとのこと。式シリーズは、松は生命力も強く、複雑な造形美として
松=無限大 四角形=規則という方程式の中での摩擦作業という事だそうだ。
生けられた松は樹齢40年だそう。

なんだろう、表現は悪いけど、死んだ人の皮膚を触ったような、冷たいけど確実に生き物を目の前にしている感じなんです。ウーン。難しい。



なぜこんなに作品があるのに、今まで美術館で発表しなかったんだろう。お姉さんに、聞いてしまいました。

「確かに作品は認められているのですが、生の花の展示なので展示期間中の作品の維持、大量に腐った草花を使用した作品もあるので展示後ギャラリーの床が腐ってしまったり匂いがしてしまうなどの問題、使用する花の仕入れでスポンサーを付ける付けないの問題等々、クリアしなきゃいけない問題がたくさんあり、今まで発表が難しかった」だそうだ。

規制があって展示できないなら、自分で展示スペースを作ろう。という事で、2年間限定でAMPGを設立されたそう。
切って生ける花以外のストイックに追求した作品を、見て感じるということの重要性を考えた結果だと思われます。

掘っ建て小屋ギャラリーですが、良く分からない緊張感がある、探究心がムンムンなスペースでした。


ギャラリーには、彼が唯一持っているという、中川幸夫さんの写真集も販売されていました。中川幸夫さんの紹介はコチラ

その中川幸夫さんの写真集の出版元の求龍堂さんが今、東さんにずっと付いて取材しているそうなので、いつか作品集ができるのかも。
すごいですよね。憧れていた花道家さんを取材した方が自分を取材するって。

そしてそして、今年の7月4日〜8月3日までドイツにて個展を開催するそう。
今回の「式3」の作品もドイツに行くそうです。

日本に彼の作品を展示できるスペースがあれば、もうすこしいろんな人が作品を見れるのになと少し残念に思っていましたが、彼の作品は国境を越えていろんな目に触れることになりました。

ハナ
日本での大きな展示は何年後になるでしょうか・・・。

あと、お姉さんに「東さんはアーティストなのですか?」と聞いた所、
「スタンスは花道家でもアーティストでもなく花屋だそうです」との事。

あずま
花を贈る事や手向ける事ついて、かなりストイックに追求される方のようでした。
左:椎木俊介さん 右:東信さん

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東信
1976年 福岡県生まれ。音楽の道を目指し上京。
2001年 JARDINS des FLEURS設立
2005年 ニューヨーク・パリでの個展
2006年 パリにてカルティエ財団に招待され
     アートパフォーマンス「Kehai(気配)」を披露
     「花屋の究極を求めて」とコンセプトを掲げて、
     自分が生産者であり花屋である事を追求して行くお店
     「ROT」オープン
2007年4月 清澄白河にてAMPGを設立
2008年3月10日 JARDINS des FLEURSニューショップがオープン

BRUTUS TRIPにて東さんが特集されています。

映画「さくらん」のホームページの、玉菊屋の画廊の中に、
東さんが活けた各部屋ごとの花が見れます。
映画さくらんHP

AZUMA MAKOTO HP
JARDINS des FLEURS
JARDINS des FLEURSは都内ならば配送していただけるそうです。
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| - | 20:40 | comments(0) | trackbacks(0) |
三木 聡監督「亀は意外と速く泳ぐ」
ある日突然言われた。

「なんて言うか、ナイスミドルだよね。」

思いもかけず、突然言われた言葉でした。

彼と会うのは、5回目。
彼が私を表現する言葉は、「ナイスミドル」だった。

中くらいで何がナイスなんだろう??
豆粒くらいしかないデザイナーっていう経験とか、
なんかみすぼらしいプライドのような物が、揺らいだ。

それから私は「ナイスミドル」という言葉が頭から離れない。




ケーブルテレビを契約してからというもの、結構映画を見るようになりました。
できるだけ1日1本見てから寝るようにしています。

そして、今日見たのが「亀は意外と速く泳ぐ」でした。

これは金曜日も見てから寝ようと思ったんだけど、途中で寝てしまい
日曜日も同じ所まで見て、同じ所で途中で寝てしまった。
なぜか寝てしまうのです。
それぐらい緊張感のない映画でした。

やっとで今日はちゃんと見終わったのでした。
あ。1日1本見れてないじゃん。エヘ。



三木監督の事をあまり知らなかったので調べてみたら
「ごっつ」とか「笑う犬」とか「トリビア」とか名だたる伝説のTV番組の構成作家をされていたらしいです。

そして映画は「イン・ザ・プール」につづく2作目。

元々、上野 樹里のさっぱり世の中に甘えた女性が好きなのです。友だちになりたい。
そしてこの映画の中では、そのキャラが際立ついい加減さ。というかだらだらさ。

話の内容は、
普通に暮らす事に不満を感じているスズメ(上野 樹里)が、勢いあまってスパイになってみる事から始まります。
日常なんだか非日常なんだかこんがらがって、
そこに友だちのクジャク(蒼井 優)やらスパイ夫婦が絡まってきます。

普通に不満を感じていたのに、スパイという仕事は「目立たず普通でいること」。

普通ってなんだろうね。特別ってなんだろうね。
普通の生活のプチ幸せを見つけつつ、普通にしてるつもりが次第に目立ってきてしまい・・・。


最後の結末は、正直納得できるものではありませんが、
それでも別にいいじゃーんって思えました。

最高に面白いでもなく、ダメでもなく、でもいい雰囲気。
えへえへ。あへ。と笑いたくなってしまった。

みんな無いものねだりなだけで、結局自分は自分でいるということが意外に楽しいのだ。

えへへ。なんだろうなこの映画。最高に笑えるわけでもなく
でも最低でもないのに、面白い映画やなぁ・・・。






そして私の頭に中に浮かんできたあの言葉
「なんて言うか、ナイスミドルだよね。」

あはは。「ナイスミドル」でいいんだ。
中くらいだって、こんなに楽しいんだな。

彼が私にどうゆうつもりで言ったかは分かんないけど、

うんうん。私、この映画好きだな。


そう思いましたとさ。



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亀は意外と速く泳ぐ

脚本・監督 三木 聡
プロデューサー 佐々木 亜希子
撮影 小林 元
出演 上野 樹里 蒼井 優 岩松 了 ふせ えり ほか

公式ホームページ
予告you tube

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渋谷清道とエリザベッタ・ディマッジョ
触発されましたので、前者に続いて書きます。

そもそも学生時代はトレペとか箔押しとか刺繍など、
手法に凝ることが好きでして、イラストが得意でない分、
一発勝負的なイラストよりテクスチャーでごまかしつつ
なんとかヘタなりにやってました。
和紙とか金粉とか使ってぺたぺた貼ったりもしてました。

そこで!
最近、変わった素材、しかも「真っ白な紙」を使ってさまざまな手法で
美しいアートを作っている方々によく出会います。

白いものが、白い空間に佇むってのはその中に例え淡い色が入ってきても
際立ってくるもんです。
切り抜いたり折ったりするだけで、
光と影を使い、とっても素敵に表現できますよね。


今回ご紹介する、渋谷清道というアーティストも、
日本画の伝統的な素材を使って色々な形にカッティングし、
真っ白の壁に貼り付けたりして、
その素材の違いや影や光、白の明暗で、アートを楽しんでいるアーティストの一人。


私は昨年に、東京オペラシティで開催された「メルティング・ポイント」で
始めて見ました。

その時の作品のテーマはこんな感じだったらしい。

「人魚姫」のストーリーを題材とし、
天空へと繋がっていくような物語性のあるインスタレーション






うーーん。「人魚姫」か。人魚?!
でも、なぜか、懐かしい様な澄み切った感覚を覚えました。
出来た瞬間が完全に頭に無いと、絶対失敗しそうではらはらしますね。
どんな手法でやってるんだろう。
天井に貼りめぐされていた、「それ」は近くでは見れないけれど、
この距離が一番美しく見えるのだろうなあと思いました。



過去の作品はこんな感じ。



OOPARTS (Odette) 2003




ミステリーサークル2002


森美術館でも「六本木クロッシング 日本美術の新しい展望2004」に
参加していたらしいです。見た方いますか?





他にも、エリザベッタ・ディマッジョというイタリアのアーティストは
外科用メスを使用したきり絵により、紙をレースに変身させる手法で
光を透かし影を作り、紙そのものの持つ面白さでたのしませてくれます。


この人は、「SPACE FOR YOUR FUTURE」で今、大きな作品を出展しています。





私は個人的にですが、白の紙や白の布、白の壁、真っ白の空間が好きです。
そこに只一点の点を書くだけでも、アートになるから。
アートっていうのはアイデンティティとセンスの表現だと思うので、
真っ白はゼロ。自分がプラスですね。
プラスがゼロに近いけれど、どこか違う。
それはとても微妙で難しいし、美しいと思っています。





| - | 13:28 | comments(3) | trackbacks(0) |
Barry Mcgee(TWIST)×Margaret Kilgallen/USA
最初にBarry Mcgeeを見たのは、
2002年のパルコギャラリーの展示「SK8 ONTHE WALL」でした。

この展示は、著名アーティストがスケートボードに好き勝手に彩色したのもを展示販売するというもの。
この時私がに気になっていたのが、KAWS、FUTURA、MIKE MILLS、生意気・・・くらい。
ストリートカルチャーのカの字も理解していない、Hip Hopもパンクスもほとんど聞かない私やけど、面白そうだったので見に行ってみたのです。

その中でものすごく目に留まったのがBarry Mcgeeのスケートボードのイラストでした。
見た瞬間、え!?なにこれ!?でした。
barry01
※写真はスケボーのイラストとは違います。

スケートボードの中に、小さくおじさんの顔が描いてあるだけなんやけど、
小さいくせにものすごい存在感となかなか汚い表情、それを裏切るような線の精密さが、なんだこの人!!と興味を持ったのでした。
TWISTという名前をしっかり覚えて、ドキドキしながら帰宅。

どうやら恋をしてしまったようでした。


そのちょっと後に、久屋のアネックスに「Tangerine」というセレクトショップ(LOWRIDERとか売ってた)がオープンして、
「Tangerine」の取扱いブランドのMaterialの広告ページのイラストを担当していたのが、Margaret Kilgallenでした。
Margaret01

チラシに朱色1色の、お尻をプリプリさせて買い物に行く女の人のイラストでした。
フランスっぽい・・・、でも田舎っぽい、外国のクッキーの缶みたいな?
とっても不可思議な雰囲気のイラスト。
なんだ!!この不思議な絵は!!と、ドキドキしながら帰宅。

どうやら恋をしてしまったようでした。


半年後、RelaxでBarry Mcgee特集され、当然ジャケ買いして読み、二人が夫婦という事を知りました。

いやー、びっくりしました。
二人の友達でもなんでもないのに、実にお似合いのお二人だ!!と感激。
と同時に、Margaret Kilgallenは癌で亡くなっていたことも知り、
嬉しさとショックで、頭の中がモタモタしました。


Barry Mcgeeは、80年代にバスキアやキースヘリングがストリートから、一気にのし上がっていったアートバブルのような時を子供時代に横目に過ごして、90年代にBarry Mcgeeも同じように路上からのし上がっていきます。
Barry02

彼は、人が見て見ぬふりする、ホームレスや回りになじめない離脱した人々や汚い町をあえて表現していきました。
インスピレーションはストリートや社会情勢などが関わってきているそう。
彼の作品に朱色が多いのは、チャイナタウンのドアにダギングして気に入った色なのだそうだ。
Barry03
元々、グラフィティ(街のいろんな所に落書きする事)という行為が違法なので、警察に発見されれば即逮捕。それでも、美術館に描く時とストリートで描く時とアプローチは絶対に変えないのだ。


Margaret02
文字や言葉を盛り込むのはMargaretの影響が大きく、グラフィティ自体の意味(文字を書く)を考えて特定の目的があって使用しているとの事。

日本でも、グラフィティをただの「落書き」ではなく、ちゃんとした文化や表現ととらえて、グラフィティライターに企業がお金を払って壁に絵を描かせる活動も行っているんやって。
落書きも発信するパワーがあると認められたんやね。

Barry McgeeとMargaret Kilgallenもサーファーでスケーターであり、二人とも、スケボー野郎のTommy Guerreroとも親交の深いので、ジャケットデザインに関わっています。
その後、私はChris Johansonやら、Thomas Campbell、Mark Gonzalesやらを知ることとなり、恐るべしストリートカルチャーのほんの一遍の始まりなのでした。

そうそう、アートを語るには絶対必要な音楽。
ストリート発のアートは特に、音があるからアートが生まれるのがものすごく感じられるので、自分の音楽の知識の乏しさに苦しみます。
耳が10個くらい欲しいや。

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BARRY McGEE
1966年、サンフランシスコにてアメリカ人と中国人の間に生まれる。
1991年、サンフランシスコ芸術院卒業。
1992-97年、サンフランシスコ芸術基金、
    その他のコミッションワークとして、
    市内各所にて壁画制作を行なう。
1998年、サンフランシスコ近代美術館で巨大な壁画を制作し、
    同館のパーマネント・コレクションに選定された。
    同年、ミネアポリス、ウォーカー・アート・センターで、初の個展を開催。
    全米のアート・シーンに衝撃を与えた。
2001年 ベニス・ビエンナーレに史上最大のインスタレーション作品を出品。

一方、「TWIST」というタグ名で知られるグラフィティ・アーティストとしての彼の活動は、あくまでもストリートやコミュニティに対する意識を持ち続けることで継続された。
それらは、ストリートで生きる人々をテーマに、つくり続けられている。


Margaret Kilgallen
1967年10月28日、ワシントンD.C.生まれ。
1989年にコロラド大学のBAをプリントメイキングの分野で取得した。
家族で頻繁に西部のメリーランドに旅行をして、民族的な伝統、
特に古い音楽や歴史やアメリカの歴史の核心部分に興味をもった。
サーフィンとバンジョーをこよなく愛する人だったそうです。
2001年に癌で他界。享年34歳。

二人の娘、アーシャはめちゃめちゃカワイイ〜。
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あ、アネックスのTangerineは潰れてもうないです。
| - | 12:25 | comments(4) | trackbacks(0) |